こんにちは、香港在住留学アドバイザーのシンプスです。
今日は、僕がアメリカ大学院留学直前に綴ったエッセイを公開します。
タイトルは『自分の在りたい姿』、つまり自分の生きる上での在りたい姿、その背景・意義・目的を、アメリカ大学院留学を手段として書きました。
【在りたい姿】(=こうなりたいではなく、こうありたい)
「男子三日会わざれば刮目してみよ」
この言葉を、留学を通じて体現する人間でありたい。
刮目に値する人間、つまり目をこすって見るほどの人間であるということは、私にとっては、何か偉業を成し遂げたり、有名人であるということではない。
「今まで27年間の人生で裏切ってきた人たちと、再び相まみえたとき、目をこすって見間違えるほどの岩田慎平である」ことを意味する。
この「岩田慎平」に、いま具体的な答えはない。
なぜならば、答えは走りながら見つけなければならないからだ。
私がいま考える理想は、現地ではもろく崩れ去り、必ずしも思い通りにはいかないはずだ。
ただ、一つ言えることは、周囲が見間違えるほど、人格を変え、高めるためには、抜本的に環境を変えて、日々少しずつでも鍛錬を積み重ねていく必要があるということだ。
留学先においては、自分一人で何でもやろうとする無駄な欲・プライドをかなぐり捨てて、コミュニケーションのスキルを高めながら、周囲の信頼を得ていくことが、生き残る上で何よりも大切なことである。
そのような環境に身を置き、留学・就職を経て、信頼の置ける一人の全うな人間になれたとき、初めて今までお世話になった人たちの恩に報いることができる。
そしてそのとき、「慎平はまっとうな人間に変わった」「岩田は常識的な信頼の置ける男になった」と言われるような、人格・価値観を身につけていたい。
ではそのとき、「どんな人間でありたいか」と聞かれたら、父が惚れ込んだ人間であり、「慎平」と命名した由来の幕末の志士、「中岡慎太郎」のような人物でありたいと答える。
誠実で謙虚、決して卑屈にならず龍馬の華やかな表舞台を影で支え続け、誰よりも足を使って文字通り奔走しつづけた男。29歳で亡くなったが、ただ人の心を変えるため、日本を良くするために、人知れず最後まで闘いつづけた。
彼の謙虚だが堂々とした生き様は、いつも軽率な言動ばかり繰り返して、嘘ばかりついている自分とは対照的で、見ていて気持ちがいい。
今さら失ってきた周囲の信頼を取り戻すことはできないが、彼にあやかり、せめて卑屈にならず気持ち良く生きたい。
「人種のるつぼ」と言われるアメリカにおいては、全世界から異なる文化・考えを持った人が集まるため、精神的にタフでないとやっていけないと言われる。そういった中でも、決して卑怯なことはせず、人として真摯でありたい。
さらに、英語という言語の性質上、自分の主張を結論から躊躇せず発言していき、相手を論理的に説得させる力が必ず求められる。つまり、日本語を話す感覚では相手にされず、必然的に人格を変えて自信を持って接していく必要がある。
日本語を話すときのような口先だけの小さな声ではなく、英語を話すときには腹式呼吸で低音を響かせて話すことで、説得力が増す話し方を体得したい。
以上をまとめると、
- 世界中から集まる才気あふれる人材と切磋琢磨することで、世界の誰とでも英語で対等に話せるコミュニケーション力を体得する。
- 留学・就職を経て、信頼の置ける一人の全うな人間になり、見間違えるほどに人格を変え、価値観を高めること。そのために、日々の地道な鍛錬を積み重ねること。
- 軽率な言動を繰り返すことをやめ、正々堂々として過信しない。
これが、私の在りたい姿だ。
【背景】(=物事の背後にある事情)
私は今までの人生で、周囲に迷惑ばかりかけてきて、お世話になってきた人たちに、何一つ報いることができていない。
それは、27年間、本当に誰かのために動いたり、働いたりしたことが一度もなかったからだ。すべての言動が自分のためであり、自分が認められたい、自分が尊敬されたいという欲求を満たすために、生きてきた。
その結果、一浪・一留して親には迷惑をかけ、さらには会社でも周囲の期待・信頼を裏切り、最後には逃げ出すという中途半端でみっともないことをした。
しまいには、青年海外協力隊に参加して途上国の人たちに貢献する、という何の目的意識もないことを言い出し、人生を迷走しかけていた。
その後、マレーシアに就職したが、コールセンターの仕事もろくにできず、会社からクビの宣告を受けて帰国した。
そのようななかで、このアメリカ大学院留学は、周囲が与えてくれた、自分を変える最後のチャンスだ。このまま日本にいても人格は変わらないのだから、留学先において、くだらないプライドをすべて捨てて、もう日本には戻ってこない、アメリカに骨を埋めるという覚悟で挑むしかない。ここで、サバイバルできなければ、帰国して悲惨な人生を歩むことになるだろう。
アメリカ大学院留学は、自分にとって逃げ場のない最適な手段であり、目的ではない。当初は海外の大学院に入学すること自体が目的化していたが、本格的に準備を進める中で、やはり本来の目的は自分の弱点であるコミュニケーション力を体得し、まっとうな人間になって働くということである。
「英語のほうがコミュニケーションが取れるんじゃないか」
初めてのアメリカ旅行中に親友Yから言われた何気ないこの一言から、将来の夢を漠然と思い描いていたが、ようやくその第一歩を踏み出す。軽率な言動ばかり繰り返す、信頼できない人間から、留学・就職を経て、信頼の置ける全うな一人の人間になることで、周りの皆に報いたい。
【意義】(=物事が他との関連において固有にもつ価値や重要性)
私にとって、アメリカ大学院に留学し、アメリカで働くということは、本来の「コミュニケーションのスキルを高める」「まっとうな人間になる」という目的のほかに、自分にとって固有の意義がある。
まず一つは、もともと日本語によるコミュニケーション力が欠如していることだ。これは、小学校3年生のときから声のコンプレックスから一言もしゃべらず、中学・高校時代も親と一言も会話をしなかったことに起因する。そのようななか、NHKラジオ英会話を中・高6年間、毎日欠かさず聴き続けたことが、自分の英語力を培い、圧倒的な自信に繋げることができた。
そのため、アメリカという人種・国籍を問わず英語で対等にコミュニケーションができる舞台は、私にとって魅力的であり、英語を使って仕事をしたいという思いは、誰よりも強い。
さらに、幼少のころからユニークであると言われ続け、周囲の人とはいつも違う考え方をしていた。アメリカという、出身・価値観・倫理観などすべてが異なり、出る杭を打たない風土のなかで、私固有の唯一無二の価値を見出すことができれば、成果を生み出すことができると信じている。つまり、自分が考えたことに共感する人を増やし、人を動かすことができる人間になる。
そして、私が成果を出すフィールドとして、ファイナンスを選んだのは、漠然とMBAを取得して現地就職を目指すということをHさんに相談したときに、「MBAで何がやりたいのか」ということが明確でないならば、やめたほうがいいと言われ、何かに特化して専門性を身につけたほうがいいとアドバイスを受けたからだ。
縁あって、証券会社に入り、営業を1年半、IRの部署で1年弱経験させていただいたが、途中で逃げ出すという形で辞めてしまった。
もう一度、自分にリベンジをして、人生に悔いを残さないように、あえて金融のフィールドでチャレンジする。ここで、またすぐに逃げ出さないことが、私のこれからの人生において最大の意義がある。
【目的】(=実現しようとして目指す事柄)
これからの人生の目的は、大きく3つある。
- 人格を変え、価値観を高める
自身の最大の弱点である周囲とのコミュニケーション力、他者を気遣い理解する力、そして他者に影響を与えることのできる力を身につける。
アメリカで生き残るためには、英語で人格をまったくの別人格に変え、自分の考えを主張し続けることが求められる。
さらに多様性を重んじるハルトでは、周りの考えを受け入れながらも、自分なりの独自の価値観を確立し、相手の心を動かしてリーダーシップを発揮することが必要になる。
人格と価値観を高め続けることで、Hultを卒業してMaster of FinanceとProject Managerの資格を取得し、アメリカ就職へのパスポートを得たら、必ず就職してさらに対人影響力を高める。
- 恩返しをする
両親をはじめ、お世話になった周りの人たちに報いる。定期的に連絡を取るなどして成長した姿を見せることはもちろん、具体的方法で必ず恩返しする。
両親は、毎年アメリカ旅行に招待し、就職して軌道に乗ったら、父への借金600万円を、必ず返済する。
そして、親友Yへの恩返しとして、10年以内に必ず再会し、預けたデポジットの100万円を返してもらうと同時に、新たにYから100万円をもらえるように、人格と価値観を極限まで高めておく。
- 自分とひとの幸せを追求する
人を愛することができる人間になる。心から幸せを願える人を見つける。
誰かのために生きることで、自分と他者の幸福を追求する。
そして、39歳までに結婚して、お世話になった人たちに報告する。
その後、両親に孫の顔を見せてあげることで、今までのお礼を必ず伝える。
自分の子供に対しては、私の親がそうしてくれたように、惜しみなく投資をする。
以上